春陽展は日本美術史に多くの足跡を残し、新たな画家・版画家を輩出している公募展です。

第92回春陽展【講演会】

講演会の様子

 

 今回は、三重県立美術館館長の毛利伊知郎氏を講師に迎え、「中谷泰の芸術」と題する講演でした。春陽会第二世代として知られる絵画部会員の中谷泰の作家活動の全貌について解説いただきました。
  毛利氏は、1982年から三重県立美術館学芸員・学芸課長・副館長を歴任し、2013年に館長に就任されています。日本近世近代美術史を専門とし、三重県松坂市出身の画家中谷泰については、郷土出身の作家として長年に亘る研究と作品紹介を熱心に務めてこられました。1988年、中谷先生ご存命中の回顧展には学芸員として、2013年には歿後20年に合わせた遺作展を館長として、二つの「中谷泰展」を開催されています。
  講演会は、作品や制作資料の画像を映写しながら、年代毎の様式・テーマの特徴とその変遷が紹介されました。師・木村荘八からの影響。戦後間もない頃の実験的静物画。そして苦境に喘ぐ労働者を扱い、表現主義的なデフォルメが顕著な傾向を示すルポルタージュ的絵画群を描いていた時代。この間、家人をモデルにした「母子像」が描かれています。会場には、そのモデルとなったご長男橡一郎氏もお見えになっていました。また、数多く手がけた挿絵原画も紹介されました。奇をてらわない滋味深い表現が、ヒューマニストとしての中谷泰をよく伝えています。
 中谷泰の代表的作品であり、画家としての地位を確立することとなる「炭鉱」そして「陶土」のシリーズが昭和30年代に制作されます。風景作品を描く際には、現地で描いたデッサンと共に、撮影した写真なども利用してイメージを練りあげたとのこと。作品と関連する写真が数多く残されていることも紹介されました。
 ―僕ら絵かきは瀬戸の赤い煙突とか炭鉱では監獄部屋を描かないと、どうも絵にならない。ところが、現実には産業の近代化とか労働条件の向上のためには、そんな赤煙突や監獄部屋は否定されなければならないんですね。事実だんだん消えてゆくべき風景なんです。そんなものはね、しかし僕らはそれを描かないと絵にならない。これは大きな矛盾なんです。―※1
  「現実をそのまま再現的に描いたのでは、絵にならないことがある」と、生前の中谷先生はおっしゃっていたそうです。その矛盾をどう克服するかが大きな課題であり、「実在を把握することと表面を把握することの違い、つまり見えたものが実在であると限らないし、そこを絵かきは探ってゆかなければならない」とも。※2
 今、改めて、中谷泰作品を通して造形表現の本質とは何かを考えること、作品に込めた課題に現代を生きる私たちが今一度向き合うことの意味を、穏やかな口調ながらも強く語っていただきました。
 質疑応答を含め1時間半。100名を超える聴講者が、「中谷泰の芸術」に興味深く引き込まれる講演会となりました。

展覧会実行委員長 小池悟

※1、2・・・『歿後20年中谷泰展』図録より(2013年三重県立美術館)

 

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